第22回
アイデア勝負の催し・新天ステージ・新天会館

■1953(昭和28)年、新天町はアイデア満載の催しを次々に行った。
 まずはフランス初の総天然色映画「青ひげ」の封切りを記念して、チャーミングなひげをたくわえた紳士を選ぶ「青ひげコンクール」を4月に開催。審査員の顔触れもくだけていて、何とキャバレーやバーの売れっ子5人。美女とひげ紳士とのコントラストが何ともユニークで、新天ステージを囲んだ人々もやんやの喝さいだったという。
 これが終わるとすぐに「漫画まつり」。当時、西日本新聞に「ハナ子さん」を連載中だった杉浦幸雄氏や永井保氏が来福。踊り子の背中に漫画を描くなどして会場を大いに盛り上げた。
 5月に入ると十日恵比須神社(福岡市博多区)に結婚式場が設けられたのを記念して川端通り、寿通り両商店街と共催で「花嫁コンクール」。協賛各メーカーや美容院とタイアップして計10人の花嫁を仕立てた。花嫁は新天ステージでお披露目した後、新天町を出発。ずらりと列をなした打ち掛けやウエディングドレス姿の一団は、街を一瞬で華やかにした。
 11月には宝塚歌劇団花組の大博劇場公演を一日貸し切りにして、買い物客1500人を抽選で招待。公演翌日には朝10時から新天ステージでサイン会を行い、大盛況を収めている。
 次々に打ち出されるイベントにこもっていたのは「皆に楽しんでもらおう」という新天町の心意気。それは、同年春に新天町を訪れた青森県弘前市の視察団が地元紙奥羽日報に語った内容からもうかがえる。
 「一流の商店だけに店舗がいずれも品位があり、そして少しも高ぶる様子がなく、商人道に徹している感じを受けた。博多人はあるときは役人でも商人でも一緒になって、ハメをはずして歌い踊ると聞いていたが、一流老舗の主人が皆と一緒になって楽しむ様子が面白かった。老いも若きも貧富の別なく、男も女も一緒に、こんな雰囲気にひたる九州人の風格の面白さ。それによって街全体の混然融和の態勢が出来ている」

 

   
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