第13回
宝恵かご
「宝恵かご」は、人気芸者を乗せて新天町をスタートした名物行事

■ 新しい年を迎え、いつものように初売りでにぎわう新天町。今回は、この町を出発点にして昭和の博多の街を15年間盛り上げた、名物新年行事を紹介しよう。

 1952(昭和27)年、福岡市や福岡商工会議所が提唱し、市内のデパートや商店街が協賛して実現したのが十日恵比須(えびす)の「宝恵(ほえ)かご」。大阪南の今宮戎(えびす)神社にならい、黒紋の着物に島田結いの芸者を乗せた花かごや供物かごが新春の街を練り歩いた。

 コースのスタート地点は最初の年こそ商工会議所(同市博多区)前だったが、翌年からは新天町の「三鷹」前に集合。午前10時半の打ち上げ花火を合図に、「宝恵かご、ホイ」の掛け声とともに繁華街に繰り出した。

 行列の先頭では博多古謡保存グループの「那能津会」が三味線と太鼓で「十日恵比須の唄」「博多の四季」を演奏。商店の店主たちは法被に腹当て、パッチ姿。市松模様のハチマキをキリリと巻いて威勢よく声を出した。一行は正午過ぎに十日恵比須神社(同市博多区東公園内)に参詣、その後再び繁華街に戻ってくるという道順だった。

 華やかな練り歩きに祭り好きの市民は大いに沸いた。かごの乗り手に選ばれた芸者さんはエリートとして認められたようなもので、「うちくさ、宝恵かごに乗るとよ」と鼻高々だったとか。新天町は毎年花かご1丁を仕立て、これに乗ったのは名芸者の松香、千代丸、大福らだった。

 以後、毎年続けられた名物行事は、交通事情や人手不足のために69年にやむなく廃止される。最後の年も勢いよく新天町を出発したという。

 

   
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