第30回
「祭りてんじん」始まる

■1970年代。福岡・天神大丸、天神コア、天神地下街、福岡松屋などの商業施設が次々に開業し、福岡市の中心部天神地区は大きなにぎわいを見せる。しかし、その発展の陰で はかた天神 らしさは薄れようとしていた。
 「博多の人情と天神地区の持つ若さが溶け合って発展してきたこの地をショッピングやビジネスだけの場所にしてはもったいない。憩いの街、心に訴え掛ける魅力ある街を目指そう」と立ち上がったのが天神発展会、都心界および天神地区各企業、天神各町内自治会、水鏡天満宮氏子社中、西日本新聞社、テレビ西日本。1976(昭和51)年、「祭りてんじん実行委員会」を結成し、新しいイベント『祭りてんじん』を企画、運営にあたった。新天町は はかた天神 の新しい個性づくりに、天神都心界メンバーとして、力を尽くす。一流の博多商人が天神で開いた新天町だけに、天神発展への思いはひとしおだったに違いない。
 初めての「祭りてんじん」は、同年10月8日の前夜祭から華々しくスタート。続いて9、10日の両日は、パレードや美術展、シンポジウムで大いに盛り上がり、大成功のうちに幕を閉じた。
 新天町秋の大売り出し「新天まつり」も「祭りてんじん」に期間を合わせて8日から11日に開催された。佐賀の面浮立(ぶりゅう)、飯塚宿場太鼓の演奏や歌謡ショー、人気番組「スター千夜一夜」生中継などが行われ、こちらも負けじと大盛況だったという。
 現在、残念ながら「祭りてんじん」はなくなってしまったが、新天町の個性ある 天神づくり への思いはこれからも消えることはない。

 

   
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