第28回
新天会館でテレビ番組を一般公開

■高度経済成長で日本に力がみなぎっていた昭和30年代。1958(昭和33)年2月22日、ラジオ九州(現‥RKB毎日放送)の民間テレビが九州で初めて試験放送を開始、3月1日には本放送を始める。これまでの活字媒体から、新しい電波広告時代への幕開けである。
 46(昭和21)年に、戦後の商店街として福岡市で初めて新聞広告を出した新天町。アイデアあふれる仕掛けで人々をアッと言わせてきた新天町が、新しい広告メディア「テレビ」を利用しないはずがない。
 試験放送開始3日前の2月19日の昼すぎ。新天町がさっそくスポンサーとなったラジオ九州「歌う青春列車」のロケが新天町商店街で行われた。レフ板、エキストラなど道具立ては本式だったが、まだまだロケは不慣れ。ロケスタッフは、旧正月で繰り出した多くの買い物客に大汗をかきながら指示を出したという。
 白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫は「三種の神器」と言われ、国民のあこがれであった当時、新天会館には気前よく27インチのテレビが3台も並んだ。「テレビ劇場」として一般公開、黒山の人だかりとなる。新天町は、RKB、それに続くKBC九州朝日放送テレビで次の番組を提供した。RKB=午前7時45分「ラッキー・モーニング」、火曜午後零時15分「歌う青春列車」、KBC=月曜〜木曜午後零時半「歌のアラモード」。テレビを見るために新天町へ足を運ぶ人もいたに違いない。多くの人に笑顔を届けてきた新天町。その神髄は今に受け継がれている。

 

   
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