第16回
新天広場、新天会館

■新天町ができて間もないころ、新天町東口と西鉄福岡駅との距離は36メートルもあり、約660平方メートルの空き地が広がっていた。そこで新天町はここを「新天広場」と呼んで、さまざまな催しを行った。1948(昭和23)年1月には石炭展覧会を開催。10月には大きな水槽を特設し、海女3人を招いての水中レビュー館を実施した。市民は競って詰め掛けて、押すな押すなの騒ぎだったという。
 同年4月には、広場の一角に「新天ステージ」も完成させた。敷地480平方メートルにステージ面積28.35平方メートル。レンガ造りで背面木造のスマートな屋外ステージは、格好の市民のひのき舞台となった。
 博多どんたくの演芸舞台に開放したほか、中元大売り出しの一環で新天宝くじ抽選会を華やかに行った。抽選には新宮海水浴場(福岡県新宮町)のカーニバルで選ばれた、当時はまだ珍しかった海の女王が水着姿で登場。回転する的に幸運の矢を射た。
 マスコミもよくこのステージを利用した。天神のど真ん中にあって、いつも人がたくさん集まったからだ。NHK主催の盆踊り大会や街頭のど自慢大会、新聞社主催の公開討論会など、その種類は多岐にわたる。選挙戦の演説にも使われていた。
 翌年には、西口に「新天会館」が新装オープン。ステージを設けた小劇場として注目された。こけら落としは、博多にわか、漫才、歌謡曲、舞踊などで晴れやかに。その後もラジオ聴取者参加番組「仁和加(にわか)クラブ」などで大いに活用された。
 「新天広場」は55年の戦災復興土地区画整理事業で姿を消すが、その後、新天町内を南北に走る12メートル幅の市道がこう呼ばれるようになった。また、「新天会館」は、66年の町内改築工事の際に取り壊された。

 

   
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