第6回
新天まつりあれこれ
創業記念の「新天まつり」はいつも華やかに行われた。写真下は話題をさらったストリッパー宣伝隊のちらし(ともに1950年)

■ 1946(昭和21)年の新天町創業の大売り出しをきっかけに、その後、毎年10月に行われるようになったのが「新天まつり」。特設舞台ではプロの演芸が披露され、福引では豪華景品が当たるなど、市民が心待ちにしていた一大イベントだった。その変遷を振り返ってみよう。

 創業年に特設ステージで博多にわかや日本舞踊、松竹映画スターを招いて福引を行ったのは以前紹介した通り。2年目は、小倉祗園太鼓の実演部隊が登場。小倉商店街の大売り出しに新天町がそろいの法被を用立てた返礼だったという。

 話題騒然だったのが、1950(昭和25)年。改装記念の思い切り派手な宣伝にと打ち出した、ストリッパー21人による新天町内パレードだ。当時、東京新宿で始まった「額縁ショー」が大流行していて、時代の先端を行くアイデアだった。しかし、まだまだ戦後。女性の水着姿のあでやかな行列に人々は大いに沸いたものの、賛否両論入り乱れた。その様子が関係者のコメントとして夕刊フクニチに次のように残されている。

「商店街が人集めをやるのは市の繁栄のために喜ばしいが、某町の場合は真面目な商戦とは思いにくい。風紀上もよい影響はない。しかし、これは法律にふれるものでなく、主催者の感覚の問題だ」(福岡市警・白石総務部長談)

これに対し当時の新天町宣伝部長・友延操氏は次のように胸を張った。「素人娘を裸にしたのではなく、興業主から祝儀の意味で持ち込んできたので、ありがたくいただいたまでだ。奇抜なアイデアの宣伝は、いつの時代にも一部の反対はつきものです」

 この年のステージには人気絶頂のターキーこと水ノ江滝子も招かれていた。人々に喜んでもらおうという新天町の張り切りが伝わってくる

 

   
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