第3回
新天町誕生

創業時の翌年、1947(昭和22)年夏の新天町。
「博多の復興は新天町から」と産声を上げた。

開店直後の「志ぼり屋

■ 「新天町」の始まり――それは、終戦直後のことだった。当時の天神町(てんじんのちょう)周辺は、大空襲で焼け野原。人々の間には暮らしへの不安ばかりが広がっていた。そんな中で博多商人たちが「町に活気と笑顔を取り戻そう」と立ち上がったのだ。

 きっかけは1945(昭和20)年、終戦直後に出された西日本新聞社の郷土再建活動案だった。その中の一つに商店街建設があり、実現に向けて原田平五郎氏(おたふくわた社長)に話が持ちかけられたのだ。

 当時は材木1本でさえも入手困難な時代。しかし「値段がべらぼうに高い闇市の天下では、人々のためにならない」と原田氏を中心に博多部の老舗の商店主たちが結集。10月には商店街創立準備委員会が立ち上がった。

 久々の明るい話題に人々は注目した。入居店舗の募集には、なんと600店が殺到したという。その中から資金状況や業種のバランスなどが考慮され、最終的には78店舗が選び出された。

 商店街の命名は、川柳作家でもあった安武孝一氏(ゑり孝店主)に託された。安武氏は筆で大きく「新天神町」と紙に書くと3文字目を手のひらで伏せたという。浮かんだ「新天町」という文字に、皆がワッと賛同。親しみやすく呼びやすい、新しい天神の町の名前が誕生した瞬間だった。

 起工式は同年12月22日、落成創業式は10カ月後の翌年10月15日。完成した商店街の姿は、木造瓦ぶきの2階建てが東西に4列、12棟の町並みだった。

 

   
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