新天町子供山笠の歴史
戦後の子供山笠
博多の子供山笠は昭和46年、大黒流寿通りの河原由明さんが自費で作ったのがはじまりです。
本当の山笠には中学にならないと山につけないので、博多の子供たちにできるだけ早い時期から山笠になじんでもらっての山笠の後継者を育てたいとの思いからだったそうです。
福岡部の子供たちに子供山笠を!
「新天町子供山笠」は山笠を知らない転勤族や福岡部の子どもたちに、少しでも博多山笠の楽しさを知ってもらいたいとの思いからはじめられました。思い立ったのは昭和55年、発起人は泰松銀二郎、足立憲弘でした。
そこで子供山笠の先輩である寿通りの河原由明さんに新天町で子ども山笠をしたいという気持ちを伝えにいきました。博多山笠振興会の許可も心配事であった。
河原さんが「子供山笠ばさっしゃーとはよござっしょーばってん、本当の山笠ば知らんでお世話はできまっせんめーもん」と。子供山笠をお世話する人間はどうするのかという問題である。
新天町のお店はもともと博多部にあったお店が多いのですがそれでも当時新天町で山笠に出ている人は5人ほどしかいませんでした。とてもその人数で子供山笠をお世話はできない。そこでその年から新天町の若手約20名が大黒流れ寿通りの山笠にかたらせてもらうようになった。
そしてやっと昭和63年に寿通りの子供山笠をお貸しいただき寿通りから新天町まで山笠を運んできて第1回の新天町子供山笠を開催しました。その年から、寿通りの山笠から多くの御加勢をいただき感謝いたしております。
新天町子供山笠表題
新天町子供山笠は1―3回は寿通りの子供山笠をお借りして開催しました。
第4回からはじめて新天町自前の子供山笠をつくりました。博多人形師亀田均さんに人形製作をしていただいています。
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昭和63年
7月
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第1回
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平成元年
7月
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第2回
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平成2年
7月
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第3回
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平成3年
7月
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第4回
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「あっぱれ桃太郎」 |
福岡教育大附属福岡小学校に寄贈 |
平成4年
7月
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第5回
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平成5年
7月
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第6回
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平成6年
7月
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第7回
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平成7年
7月
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第8回
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平成8年
7月
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第9回
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平成9年
7月
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第10回
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平成10年
7月
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第11回
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平成11年
7月
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第12回
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平成12年
7月
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第13回
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「寶剣在手裡」 |
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平成13年
7月
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第14回
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「天晴桃太郎」 |
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平成14年
7月
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第15回
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平成15年
7月5,6日
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第16回
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「黒田武士勲」
くろだぶしのいさお」 |
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平成16年7月3,4日
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第17回
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天神ゑびす |
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