秋の訪れとともに筥崎宮の放生会がはじまります。博多三大祭のひとつです。
生きとし生きるもの生命をいつくしむお祭として千年の昔から続いています。こどもの頃、父親に肩車をして連れてってもらって以来毎年行っていますが、我が家でも年中行事です。子どもはもう一緒に行ってくれない年になっています。
私としてはもう懐かしさを味あうための行事になっています。
「放生会」は日本中の他の神社でも行われていて「ほうじょうえ」と呼ばれていますが、筥崎宮の「放生会」は「ほうじょうや」とよんでします。
最近の放生会は筥崎宮の浜から夜店が並び新ショウガや、博多ちゃんぽん(ガラスでできた音が出るおもちゃ-ビードロのこと)などを買い求めます。
見世物小屋、射的場、輪投げ、うなぎつりなどがあり、期間中30万人以上がお参りをします。お年寄りに昔の放生会の賑やかさを聞くと、いまとは比べ物にならないほどはなやかだったそうです。今の放生会は博多の三大祭というにはちょっと寂しい気がします。
放生会着物(ほうじょうやぎもん)
戦前の放生会の話を聞くとそれはにぎやかで派手だったようです。
放生会着物(ほうじょうやぎもん)といって7月の山笠に出た旦那が、山笠で店を空けいろいろごりょんさん(商家の奥様)にお世話になった慰労に着物を買ってあげる習慣があったそうです。
「放生会の幕出し」ってなあに?
博多の商人は派手好きで宴会好きです。
昔、放生会の15日は商家は店を休んで、商家やや町内の単位で放生会に繰り出し、「幕だし」をしていました。「幕だし」とは、はこざき浜の松の木の枝をを利用して思い思いにデザインした大きな幕で囲み、その中で大宴会です。
明治44年生まれの「えり考」のごりょんさん(故人)の話では小学校のころまでは幕だしをやってたそうですから昭和5年ごろまではあったようです。景気が悪くなったことと、はこざきの松が松くい虫でばたばたと倒れていったこととが重なって幕出しをする人がいなくなったそうです。
町内の運動会にとってかわられたという人もいます。
今、博多町人文化連盟の人たちがが「幕だし」を復活しています。それを見てかつての幕だしをしのんでください。あなたも幕だしを始めてみんね?
西島いさおさん(博多町人文化連盟の前会長)のイラストに昔の幕だしに繰り出す様子が描かれています。 |