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博多の傘屋の独断コラムです。ちょっと偏っとうかもしれんね。
ご意見、ご質問はメールで!


「マイ傘?」。当たり前でしょ。
  Date: 2010-02-20 (Sat)

「マイ傘」なんて言葉がトレンドらしいですね。安いビニール傘や安い傘の台頭で、傘を使い捨てする人や、他人の傘でも勝手に使う人(ほんとは窃盗罪です。)が増えている時代だからこそできた言葉なんでしょうね。傘屋から見れば寂しいことです。「マイ傘?」。当たり前でしょ。

価格が高くても安くても傘は大切につかってほしいものです。道具ですから壊れることはありますが、修理をしてでも長く使ってもらいたいものです。「マイ傘」なんて言葉が新聞に取り上げられる時代は変です。

西日本新聞創刊130年をお祝い!
  Date: 2007-10-19 (Fri)

西日本新聞創刊130年をお祝いします。


西日本新聞の起原を1877年創刊の「筑紫新聞」として、創刊130年ということなのだろう。その後、「筑紫新聞」「めざまし新聞」「福岡日日新聞」「九州日報」などの統廃合があり、現在の「西日本新聞」を称する新聞は1942年政府の新聞統廃合令により誕生した。


西日本新聞の歴史に登場するのが西日本新聞の前身、福岡日日新聞の記者、菊竹六鼓である。昭和7年の5.15事件に際し、軍部の圧力を恐れずに軍部批判の記事を書いたのは、全国でただ一誌だけだったという。その論調は、風潮に流されず、何が真に国民のためになるかを考えることを読者に促すものだった。


現在の新聞がスポンサーやクレイマー的読者の圧力に屈してはいないか疑問ではある。最近見た新聞に関してのアンケートで、新聞を信頼する、期待するとの回答が多かった。新聞に求められているのは、真に読者のため、国民のためという視点を忘れない芯がぶれないメディアであることだ。
がんばれ、西日本新聞。


井筒屋さんはちょっとかわいそう。
  Date: 2006-05-01 (Mon)

博多駅改装後のキーテナントは阪急百貨店。

天神のことじゃないばってん、ちょっとひとこと。

博多駅が改装される。改装後の新博多駅のキーテナントが阪急百貨店。 井筒屋さんはちょっとかわいそかね。
<新博多駅開業>
現在の博多駅は、昭和39年に現在地の少し南の馬場新町から移転され現在の場所に移った。その影響で元の駅前商店街はさびれ、次々に商売を廃業していった。新駅の2階以上は駅ビルショッピングセンターが計画され地元の専門店が多数入居した。ところが客様の動員は最悪。2階にまで上がるお客が少なく、お店の売り上げも最悪だった。通路でキャッチボールができるくらい人通りがなかったそうだ。原因はコンコースから2階へは細くて長いエスカレーターがあるだけ。2階以上にお店があるのがわかりにくく、通行客に魅力がない設計であった。
その対策でコンコースに看板などの設置をテナント会で申し入れしたが当時の国鉄は国鉄の利用者の通行を妨げるようなものはコンコースに造ってはならないという見解であったためできなかった。テナントは次々に売上不振で退店してしまった。
その後、その大変な場所に入居したのが井筒屋さんだった。そのころを知っているだけにこれまでの井筒屋さんのご苦労は大変だったろうと想像がつく。これまでよくがんばられたとおもう。
JR九州はそんな歴史にかまわず、過去の経緯は白紙にしてキーテナントの百貨店を選ぶと発表した。高島屋入居の声も途中聞こえていたが結局阪急百貨店をキーテナントにする決定をしたそうだ。
井筒屋さんは当然出店できるものだと思っていたが、過去のビル管理会社のJRの関係などでこーなったらしい。
が、利用者から見ればビルと駅が一体の建物だったのだからJR九州さんももう少し地元企業として、地元の歴史やかかわりを大切にしてもう少し井筒屋さんを大事にしてもよかったちゃなかろーか。ほんとの地元の商売人はそげなことはしきらんめーね。やっぱり「国鉄」なんやろう。
井筒屋さんはなんかかわいそかねー。
それにしても天神もがんばって博多駅に負けんごとせないかん。

(2006.5.1)

どんたくのおいしゃん、下澤轍さん逝去。
  Date: 2004-11-04 (Thu)

どんたくのおいしゃん、下澤轍さんが10月31日お亡くなりになった。95歳。
下澤さんは戦前戦後を通じ福岡博多の活性化と文化の承継に生涯をささげた。

戦前は、零細小売商店が百貨店に対抗、「博多専門店会」の設立に尽力された。

また、戦後はその「博多専門店会」の名称をとって「博多人形のはくせん」を開店し、さらに博多の文化を広められた。新天町商店街の設立や、都心界、福岡市商店街百貨店量販店連盟、博多町人文化連盟、博多商人塾なども下澤さんが仕掛け人だ。
いい意味でのしたたかな博多商人だった。

いちばんの功績は「博多どんたく」を福岡市や商工会議所に働きかけて「福岡市民のまつり・博多どんたく港まつり」に高めて、全国から200万人もの人を集める全国ブランドにしたことだ。生前「どんたくば鴻臚館までもっていきたかね。」95才になってもさらにしたいことがいっぱいあったおいしゃんだった。
心より御冥福をお祈りいたします。


岩田屋新館オープン100日。影響は?
  Date: 2004-07-12

3月2日、岩田屋新館が開店して100日たった。
その影響はというと、大丸、三越の売上がよくないという。ダイエーショッパーズは影響が少ないというより少しよくなっているという。新天町は通行客数でいうとそう変わってはいないようだが、土日の通行客が3割ぐらい増えている。岩田屋オープン効果だろう。それでも岩田屋の旧本館が閉店したことで従来の岩田屋と新天町の馴染み客の来店は少し減っているように感じられる。

岩田屋新館オープン。 天神の人の流れが変わる!
  Date: 2004-03-19

岩田屋新館オープン! 第4次天神流通戦争の始まりだ。

3月2日、天神NHK跡地に建設中だった岩田屋新館が開店した。平日だったにもかかわらず開店前には約1万人が並んだという。売り上げは本新館で5億円。まだ下見だけの人が多いそうだ。
隣の新天町商店街は岩田屋と共同でおめでとうセールで岩田屋との一体感をだす。
道路の各要所にジャンパースタイルの岩田屋OBがボランティアで道案内を買って出た。岩田屋への愛着と再生への願いからだろう。
デパート戦争、第4次天神流通戦争の始まりだ。
つぶやき
岩田屋のオープニングキャンペーンの訴求は「新生岩田屋」「新天神」ビジュアルでは女性3人のファッショナブルなイラストでターゲットを表現しているようだ。
新岩田屋の立地は決してよくない。しかも売り場面積が約1万坪減少。これまでと同じマーチャンダイズでは天神商戦に勝てないとの思いからの路線変更のようだが・・・。新しい顧客層を取り込めるかどかが鍵となりそうだ。


2月22日岩田屋本館が閉館しました。
  Date: 2004-02-22

2月22日、天神かどの岩田屋本館が閉館した。
3時ごろ8階の食堂で岩田屋本館最後のカレーライスを食べる。店内は1階から8階まで大満員。お客の中には店じまいセール目的ではない見納めにきている人も多かった。夜7時半1階エントランス付近は報道陣がいっぱい。岩田屋本館の最後を見届けに来た人たちで西鉄福岡駅コンコースも大混雑。なかに岩田屋OBも多く見受けれれる。涙ぐんでいる人も。入り口のステップでは次々に記念写真を撮るグループが入れ替わる。
私にとっては生まれたときからお隣で、遊び場だった岩田屋が閉館するなんて考えたこともなかった。明日からはもう開くことがないと思うと・・・。
知人の岩田屋の社員を見つけて一緒に記念写真を撮った。
中牟田前会長、前社長はこられてないようだ。心中を察す。
ありがとう中牟田岩田屋本館。
また新しい天神の歴史の始まりだ。


2004/2/22

岩田屋本館の閉館
  Date: 2003-12-23 (Tue)

仲間のMLに、岩田屋の閉館についてののコメントがありました。
<以下転載です>

1936年(昭和11年)10月7日の開業以来、足かけ69年間の長きに亘り、天神の四つ角の象徴として、市民に親しまれてきた岩田屋本館の閉館日が来年2月22日と決まりました。今月26日から閉館セールが始まります。

 岩田屋は、といっても今や経営者は中牟田一族ではなく伊勢丹傘下ですが、現在の岩田屋Zサイド店と道を挟んだ北側のNHK放送局跡地に移転すべく、現在本館を建設中で、Zサイド店を新館と呼ぶようになるようです。開店は3月8日とのうわさ。

 現在の本館はどうなるのか、買った都築学園が未だに明らかにしておりませんので、わかりませがん。情報通の誰か、教えてぇ〜。

  四つ角に ゴーストビルじゃ たまらんばい   福岡市民
                   

路線化依然低下傾向、天神路線価一部上昇
  Date: 2002-08-02

国税庁が路線価を公表した。
九州全体では6.1%ダウン。主要地区の最高路線価をピーク時(1992年か1993年)と比較すると4分の1から半分以下になっている。これまで九州山口地区のトップは天神渡辺通りに面した岩田屋東側だったが今回はソラリア東側の314万円で(1u)がトップとなった。天神の中心の南下が数値に表れた。

つぶやき

岩田屋の業績が悪いと言われているが、本館の坪当たり売上高は現在でも天神で一番である。売上げ高、すなわち集客力がある土地の路線価が、ソラリア東側の方が路線化が高いというのはおかしく感じるが、原因は近隣地の取引される価格が下がっているからなのだろう。天神北とのつながりが弱くなっていること、それと将来学校になるとの思惑も地価を下げる原因になっていると思われる。

地価が下がること自体は新しいビジネスを起こす新しい買い手が生まれる可能性を高める点はいいが、土地を担保の銀行融資で成り立っている近隣の既存企業は一時的に担保価値が下がり、銀行はさらに苦しくなるという両面がある。そこが成功し集客が高まると地価はまた上がるのだが。

岩田屋本館跡が本当に学校になったとたんにこの場所の地価は急激に下がり天神全体にも影響を及ぼすだろう。この場所はやはり商業集積、岩田屋がそのまま、というわけには行かないだろうが東急ハンズ、ロフトなど天神にこれまでになかった業態がほしい。どうだろう。


都心界会長に新天町から選任
  Date: 2002-07-23

戦前の天神と博多部の繁盛振りを知っている人から見ると、天神がこんなに繁盛するようになるとは思いもしなかったそうである。
現在のような天神の盛隆の陰には「都心界」が大きい役割を果した。
都心界は天神の商店街の連合組織である。都心界は天神を都心といえる街にしたいとの思いで発足した。設立時の加盟商店街は岩田屋、西鉄街商店街、イナバ町商店街、天神市場、新天町商店街であった。
岩田屋の中牟田喜一郎前会長は2代目会長として約50年天神発展の中心になって頑張ってこられたが、その後の会長に新天町公社の楢崎社長が引き受けることになった。
都心界の活動は、天神にたくさんのお客様に来てもらい喜んでいただくために、競争と協調でイベントや、街づくりをするこである。その結果現在のような人は集う町、天神ができたのだ。

新会長は地元の代表として博多商人の心を持って、さらに楽しい街づくりのリーダー役をはたしていただきたい。
退任された中牟田前会長ありがとうございました。

天神岩田屋、伊勢丹傘下へ
中牟田社長・会長退任
  Date: 2002-02-26

債務超過に陥り、再建実行中の福岡天神の老舗デパート岩田屋が、伊勢丹と銀行(富士銀行、福岡銀行)に資本参加を求め、中牟田一族の経営に終止符をうつ。実質的には伊勢丹に岩田屋を売り渡すことを決めたということだ。今後の収益状況に不安を感じている銀行団に応える苦渋の決断だった。
社長、会長退任、伊勢丹が株引き受け、銀行は債務超過280億円債権放棄と引き換えに、「社員の雇用」と「会社存続」を図る決断だ。

岩田屋の財務体質が悪くなったのは岩田屋伊勢丹(熊本)出店、西新岩田屋出店の負担にに始まった。
また大丸、三越進出による天神デパート競争の対応策としてのDADAビル、Z-SIDE開店などの債務増加が逆に足をひっぱったといえる。
その後は建物などの資産をを売却し債務超過を減額したり、派遣販売員廃止、買取制導入などで利益確保して収益構造を高めることで経営基盤を強くし、NHK跡地の新岩田屋で再生を図るというシナリオであった。
しかしながら天神の激戦状況と経済状況は、その実現をそう簡単にはゆるさなかった。単年度黒字の実現にやっとこぎつけたものの、債務超過は現在の経済状況のもとでさらにふくらんでしまった。金融庁に従来よりきびしく不良債権処理を迫られているの銀行の不安をを解消し、会社を存続させるためには、こうするしかなかったというのが実情だろう。


<つぶやき>
このコラムで岩田屋関連情報を多く書いてきたが、残念!
この決断に対して銀行は好感を持ち、今後の支援を約束したが・・。

日本中にこのような状態の企業は多い。銀行はかつての金融状況下では支援できたていたのに今では同じ状態でもできない。金融庁が許さないからである。
日本の金融をグローバル化対応のアメリカンスタンダードを、法律、歴史、文化、国民性が日本にとりいれたことが間違いのはじまりだった。数字でしか日本を見ていない。その時から銀行を通じて日本の企業に済にさまざまな影響が及んだ。
新しい制度下で金融庁は容赦なく、アメリカンスタンダードに照らし自己資本比率の確保と、銀行の債務超過の是正をせまる。その結果貸付先企業へ経営改善の要求はますます厳しいものとなっている。

金融庁の責任分野は厳しく銀行に債務超過企業の処理を迫ることで、将来の地域経済や文化には関心はない。そこではバブルに踊った経営者の土地投資に加担してできた債務超過と、本業への投資でできた債務超過も同一視されている。決算書の数字だけで企業の可否が判断される。(銀行員の話)。その結果、福岡でも多くの地域の老舗が廃業に追い込まれている。
大げさではないが地方文化を形成していた企業がなくなり最後に銀行だけが残った、なんてことにならないだろうか。
今、日本中がこの人為的嵐の中にいる。
(以前の大蔵省に戻せと言ってる訳ではない。金融庁の役割は分かるが、国家百年の大計を考えれば別の視点で銀行の貸付先をを評価する機関がなければならないと考える。財務省がこの期待に応えていない。)
こんな考え方が小泉総理の言う「反対勢力」的考え方なのだろうか。

それにしても地域行政は無力だ。行政が描く産業政策も地域計画もふっとんでしまう。
国の政策の下では無力だ。国に頼らない地方ができる政策はたてられないのか。
東京都は固定資産税の減額をするそうだが。
福岡市もがんばれ。
何かやり場のない気持ちにさせられる。

ところで伊勢丹は、これまでの縁というだけで岩田屋を引き受けないだろう。これを拠点に福岡、九州に再進出の狙いがあると見るのが順当だろう。

ごちゃごちゃ書いたが私にとって「岩田屋」、中牟田一族が博多福岡にもたらした地域文化の恩恵は大きかった。
ありがとう、さようなら、「中牟田岩田屋」。

天神マツヤディス(福岡松屋)が建物売却
  Date: 2002-01-25

天神のマツヤレディスが売却されるのことだ。
本体の大牟田の松屋デパートが先日経営不振民事再生法の申請をしたばかりだったが、その負債の負担が原因だという。
売却先は大手建設業とのこと。以前岩田屋が都築学園に売却したのに続いてのことで、天神の仲間として残念。ダイエーもそうだが、流通大型店がこうバタバタすると消費者心理に悪影響だ。

ま、天神は激戦だから元気がいいのだと思うことにしよう。

新岩田屋地鎮祭2月に 計画内容に注目したい
  Date: 2002-01-20

NHK跡地(現在駐車場)にできる新岩田屋が入居する新都心開発(株)の建物の地鎮祭が2月に行われいよいよ着工だそうだ。完成は2004年2月。西日本新聞によると」空中公園をつくるそうだが、それだけが売りというのはちょっとさみしい.。地域の発展に寄与する開発をするとの理由で手入れた土地だったが地域とはどんなコンタクトをとってどんな計画になっているのだろうか。うわさでは近隣の協力が得られず敷地部分だけの建築物の計画に収まってしまってしまったらしいが、今後も地域との協力関係を模索してほしい。計画内容に注目したい。

都筑学園が福祉専門学校の開設を申請
  Date: 2001-12-08

都筑学園が福祉専門学校の開設を申請した。
買収した天神岩田屋跡に開設する計画だ。かつて福岡の地価最高値をつけていた場所であり、天神が都心化してきた源流ともいえる場所だ。天神で商業を営む商人にとっては、やはり天神の機能を高めるための施設が出来ることが希望だ。日本のあちこちで売却買収劇が繰り広げられている。いまや行政や地域が作る地域将来計画などは、金融事情や資本の論理で吹っ飛んでしまう時代なのだろう。市民の気持ちはどうなのだろうか?

周辺地も含めた再開発を
天神NHK跡地開発
  Date: 2000-05-12

NHK跡地、周辺地も含めた再開発を表明―地元グループ

天神のNHK福岡の跡地の開発をする地元グループは、開発する範囲をNHK跡地とその周辺まで広げたいとの意向を新聞発表(朝日、日経)をした。

つぶやき
天神のこの一角は岩田屋Z-SIDEができて以来、通行量が大きく増えている。また天神西通り以西の紺屋町、大名地区には若い人対象の路面店が増え土日などは活気であふれている。この地区が大きい範囲で開発されるとさらに魅力あるゾーンになるだろう。
地域の合意を取るプロセスと時間が鍵
しかし完成のタイムリミットが2005年。来年5月ごろには着工しなければならない。
地元グループの構想実現に向けての問題は、地権者や現在営業をしているところが納得できる地域ヴィジョンを示せるか。それと計画の進め方、誰がまたはどこが中心となって進めるかにかかっている。

今回の計画が、ただ単に岩田屋再建やただ商業施設を集積する目標だけでは、地域や行政の協力は得られない。この開発は、21世紀の天神将来像を先取りし、またそれの起爆剤にするくらいの意気込みとプランを求めたい。

学校法人都築学園の岩田屋買収と
  Date: 2000-12-09

前に学校法人都築学園が岩田屋の本館、新館を買収したことに驚きの気持ちを書いた。学校法人がこのような不動産事業をしてもいいのかということだ。しかし反論もあるだろうが、これからの私学の経営基盤が、国からの補助金と学生から集めるお金だけでいいのだろうか。
アメリカでは、私学の収入源は授業料のほかに寄付金、技術や特許などの供与事業、資産の運用益など多様だそうである。日本の私学経営も変わる時期がきているのかもしれない。しかも国立大学でさえ独立行政法人化の方向で進んでいる中で、私学も国からの助成金をいつまでも当てにできるわけではないだろう。学校を守るためなら事業収入を得てもいいのかも。
そんな事業を考えている都築学園ならば、天神の商業立地を高めるような貸しビル業も考えられないだろうか。天神の地価は商業目的の利用を考えての地価だ。ここが学校になったら簡単に地価が下がり、取得価格以下になるだろう。都築学園の資産も減ることになるのだがなあー。

この考えにはたくさん反論のメールをいただきました


買い入れ価格103億円 天神NHK跡地開発
  Date: 2000-04-26

天神のNHK福岡の跡地の競売入札が4月25日に行われた。
入札はキーテナントを「ロフト」で申し込んでいたト森トラストグループが降りたので岩田屋支援クループのみで行われた。入札一回目は、NHKが予定していた最低価格に達してないとNHKが拒否。
その場で再入札を行い、103億円での売却が決定した。

「天神つぶやき」
売却価格について友人の不動産鑑定士は、この価格は民間の売買でも高い方との意見。 当初のNHKの売却予定価格自体がが高かったといえる。

しかしながら取り敢えず一件落着。
市民が本当に喜べるいい計画を!
買収が高値だったことで、事業の採算性や計画内容、さらには今後の近隣の再開発に影響が及ぶであろう。今後は行政も協力して、天神の将来をみすえた、市民が本当に喜べるいい計画が実現することを望む。


(蛇足)NHKの売却方針は、最初から間違っていた
NHK福岡放送局跡地は、元々は岩田屋中牟田一族の土地。公共のためにとNHKに安価した経緯がある。 しかもNHKは放送法で、不動産による収益事業を行うことを禁じられている。NHKが高値で土地を売却、収益を上げたのは脱法行為であり、また道義的にも最初から間違っていたと私は考える。NHKの予算書(NHKのホームページ)に最初から売却予定収入が繰り込まれていた。

NHKは土地をいったん国に返還すべきではなかったのか。NHKが嫌いで言ってわけじゃない。現在、NHKは法律によって守られている。だから法律と法律の精神を守って欲しいだけだ。そうじゃなければ民営化を目指せ。


森トラスト、入札辞退天神NHK跡地開発
  Date: 2003-06-20 (Fri)


4月25日(2002)の天神のNHK福岡の跡地の競売を前に「森トラスト」が入札を辞退した。このため岩田屋を支援する「地元企業グループ」だけで入札を行うことになった。
「天神つぶやき」
地元グループが残ったということはそれだけこの開発内容への責任が重いということである。市民が本当に納得できるすばらしい計画を実現してほしい。




天神NHK跡地売却選考委員会、2企業体を選出
  Date: 2000-04-08

NHK福岡の跡地売却のための選考結果が2月7日に発表された。
申し込んだ4企業体の中から「岩田屋を支援する地元企業グループ」と「森トラストグループ」が選考された。
選考過程などの発表はされなかった。入札はこの2社で4月25日に行われる。
「天神つぶやき」
NHKは高く売りたいだろうが。

地元岩田屋にチャンスを!天神NHK跡地売却
  Date: 2000-03-10

天神のNHK福岡の跡地売却のためのコンペが2月末に締切られた。
申し込んだのは「岩田屋を支援する地元企業グループ」ほか「ビッグカメラ」「森トラストグループ」「三菱地所」の中央大手3企業体。
「天神つぶやき」
どこに決まりどう開発するかで天神の今後のシナリオは大きく変化するだろう。
※岩田屋隣接の商店街の店主の立場での考えです。
ちょっと、かたよっとーかも知らんね。


- SHIBATA UMBRELLA SHOPS CO.LTD. -
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